2010年4月、私、大江和正は13年奉職した本願寺広島別院から築地本願寺へと異動して東京へきました。
ちょうどその月の19日に、本願寺築地別院(現築地本願寺)のトップ交代があり、当時の豊原大成輪番(2023.1.23ご往生)から不二川公勝輪番(本願寺築地別院から築地本願寺へ改組後の初代宗務長~2013.10.1。2014.2.5ご往生)へとトップが引き継がれました。豊原輪番にも不二川輪番にも、それまで直接職務上の接点はなかったのですが、特に不二川輪番には目にかけていただきました。やりがいある仕事をさまざま当たらせて頂きました。築地本願寺の教化関係を所掌する部署の中間管理職的な立場でした。広報誌月刊築地本願寺新報の編集発行は直接担当しましたが、ほかにも法座関係、教化関係団体の事務全般を所掌する部署です。関連して「築地本願寺には見るところがない」、、、と、せっかくいらっしゃった参拝者が本堂ご本尊前からすぐにUターン帰っていかれる、、、そんな参拝者が多い状況でしたので、ゆっくり滞在してもらえるようにとのネライから堂内に回遊式の張り出し掲示資料(大型ポスターによる)を作ったり、建物内の動物意匠を探すマップをつくったり、御朱印に対抗して作成した参拝記念スタンプを開始したり、年末年始のカウントダウン企画やオリジナル華葩(現月々かわる参拝記念カードへ)の作成、、、門前の通行人に親鸞聖人のご生涯に触れて頂けるようオリジナル内容で紙芝居的な大型パネルを製作し降誕会・報恩講で掲示をする等々、、、の企画や実施に携わらせていだきました。不二川輪番は築地本願寺新報の発行責任者であったため、毎月必ず掲載内容の説明時間がもらえました。しかしたいがい掲載内容から発展して様々に御教示くださいます。今思えば、ご多用なのに贅沢な時間をつくってくださったものだなと思い返しています。色々なアイデアを実現するためには超えなければいけない壁がたくさんあります。院内には違う考えや反対の意見もわんさかあります。ですから事前にトップと話せる機会があったのはとても有り難いことでした。不二川輪番はいつも丁寧に聞いて下さり、「いいじゃない。しっかりやりんさい」と後押しをしてくださいました。稟議書などで事務に乗せ企画を立ち上げる時の励みになりましたし、様々実現できたのも、そのお陰であると思います。
このたび不二川輪番の思い出を書こうと思ったのは、雑居ビルの2階、しかも1階でラーメン屋さんが営業するビルで寺院活動をしている王子布教所の活動形態は、不二川輪番のアイデアが原点だと思うからです。築地本願寺は、都市開教推進が事業として謳われています。当時なかなか推進できない理由がたくさん並べられていました。それに対し不二川輪番は、「境内とか建物や設備のことを考えだすと大がかりになって何もできん。蓮如上人の時代には、阿弥陀様の掛け軸があれば、掲げればどこでもそこが念仏道場になったんじゃから。本当はそれでいいんじゃないか」と根本的な投げかけをしてくださったのです。
東京の特別区で千代田区と北区には本願寺派寺院がありません。恐らくこれまでも、35万人超が生活する北区にお寺を作るべきじゃないかと思いあたってくださった先輩僧侶はおられたと思います。しかし、地価も高いし家賃も高い。他地域でのご縁があれば、現実的にそちらへ向っていく。北区が取り残されたのも必然的な流れなのかもしれません。そうした後ろ向きな意見に対して、不二川輪番の、ご本尊があって手を合わせらる場所があれば「どこでもそこが念仏道場になる」の言葉をそのままに開所したのが王子布教所なのです。
輪番・宗務長は、トップとして挨拶をする場面が多々あります。毎日のように沢山の人に会い、行事も次々とあります。ですから私が関係する行事で挨拶したり、築地本願寺新報などの印刷物にトップ挨拶文を掲載する場合には、相手に何を伝えなければならないか、伝えたいか、ということを事前に意向を伺い、原案を文字にして届けるようなことを行っていました。そのような中でトップを退任される半年前頃、広島のご自坊・明覚寺(三次市吉舎)の老朽化した本堂を再建する募財趣意書を書かなければならないので手伝って欲しいといわれました。築地本願寺の職員としての仕事ではありませんでしたが、いつも御教示くださるせめてもの恩返しと思って引き受けました。しかし不二川輪番の思いを形に整理していく中で、逆に私の方が学ばせていただきました。
何度も書き直しがあり特にこだわられたのは、親鸞聖人のみ教えと私達の生活、何故地域にお寺が必要なのかを、門信徒に伝わるようにということでした。全文は掲載できませんが、書きあがった内容の中心部が以下の通りです。
「~明覚寺は、創建以来、親鸞聖人のみ教えを宣布し続け、吉舎における精神風土と文化の基盤となってきました。この親鸞精神とは、往生という言葉でも表されます。艱難辛苦を目の前にして、為す術なく立ち尽すことではなく、どんなに厳しい状況であっても、手を合わせ念仏申す中に、み仏とともに一歩踏み出す勇気をいただき、「あらたな自己へと往き生まれていく」、〝往生〟のことです。私たちの先達はこの精神のもと、厳しい、困難な状況をも乗り越えていかれたのでした。~」
上記は、ひょっとしたら宗務の関係者の中には、ここに書き記していることをお叱りになる方がいらっしゃるかもしれません。ですから削除しなければならないかも知れません。しかし王子布教所の開所の原点ですので、あえて言葉にしておきます。新年にあたり、王子布教所の新たな展開へ向け、そして拠点化、寺院化に向け、過去の資料を参考にしようと目を通しているなかで、思いがけず不二川輪番と十年半前に作った趣意書を見つけましました! 北区での活動も、正直、面食らってどうしようと立ち止まりたくなることもあります。でも阿弥陀様が共に歩んで下さっている。不二川輪番の「いいじゃない。しっかりやりんさい」という言葉が聞こえてきた気がしました。王子布教所をしっかりとした拠点となるよう一歩でも二歩でも、前にすすめていきたいと思います。ありがとうございます。がんばります。なもあみだぶつ
~2024年正月5日 日記がわりにぼちぼち書きます~
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